受験生だった娘は
やっとこさ進路が決まり
毎日毎日
これでもかと遊びに出かけています。
遊び歩いてるんだから
もうちょっと家のことを手伝って!
いや、昨日は私がご飯作ったし
最近ずっと私がお風呂洗ってるよ!
…とまあ、
ちっちゃい、しょーもない言い争いを
連日繰り広げているわけですが
たまに、ケンカの合間なんかに
娘、こういうこと言うんですよね。
「お母さん、こういうとこあかんよね。
私はそうはなりたくないわー。」
母親である私の
性格、行動、癖…。
そういったものを非難する言葉。
母親である私は
これを聞くたびに
「ひーかんべんしてー。」
なんて言いながら
にんまりしているんです。
人間はこの世に生を受けると
必ず、誰かの手を借りて大きくなります。
それこそはじめは
自分でミルクを飲むこともできない。
哺乳瓶なり、おっぱいなりを
口元まで持ってきてもらわないと。
そうやって
何から何まで世話を焼いてくれる人間は
子供にとって、一番の存在。
絶対的な存在なんです。
物心ついて
子供の世界が広がっていくと
「その人間」は
社会のルールを教えることになります。
絶対的な存在である人間から教わったことは
何も知らない子供にとって、真実。
極端なたとえですが
点滅している信号の前で
「点滅したら、渡っちゃダメ!」
という人間と
「点滅してるから、早く渡っちゃいなさい!」
という人間がいるとして
子供は
自分が一番信頼する「人間」の言うことが正しい、と思うんです。
でもさー
絶対的な、完璧な人間なんて、
いないでしょ?
信号の例は極端だけど
何が善か、何が正しいかなんて
人それぞれだから
「聖人君子」にも幅があるし(^^;)
この世に
ごまんといる「その人間(多くは、親)」が
100%正しいなんてありえない。
自分の親が
聖人君子ではなく
欠点も醜いところも持ち合わせた
ごく普通の人間だということに気が付くこと。
親の言うことが
100%正しいと思い込むのではなく
子供が、自分なりの正しい考えを持てるようになること。
これが
私の考える
「親からの精神的な自立」なんです。
まだまだ甘ちゃんな娘ですが
母親である私を
こき下ろせるようになった時点で
「親からの精神的な自立」は完了かな。
ただ
なかなか鋭いところをついてくるので(^^;)
母親である私のメンタルはずたずたですが_| ̄|○
娘!
もっと優しくしてーん
※追記
信号の件ですが、
「車が来ないか状況判断して渡れるなら渡る。
歩行者が自分で状況判断せず、漫然と信号を待つのはおかしい。」
という価値観の国もあるそうです。
まあ、ここは日本なので、信号は守ろうね!
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