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さくら徒然日記

駄文(重圧)

ある人が軽微な犯罪を犯したとします。

犯罪そのものの重さは一緒でも
その犯人が
「無職」
「幼い子を持つ母親」
「サラリーマン」
「学生」
・・・などなど、その肩書きによって
「やっちゃった感」の違いがあるのはどうしてなんでしょう?

一般的に、もっとも
「やっちゃった感」が大きいのが
「警察官」と「先生」と呼ばれる人たちじゃないでしょうか。
(悲しいかな、政治家のやっちゃった感にはもう慣れてしまった気がします)

犯罪を取り締まる立場の警察官の犯罪には目も当てられませんが

「先生」

この響きには
品行方正
清廉潔白
そして
器の大きな、欠陥のない人間
というベースがあるような気がするのです。



私は

ほんと、たいした技術も人間性も持ち合わせていないただの人間ですが
畏れ多くも先生、などと呼んでいただいております。

しかし

非常に思いやりのある大人のメンバーさんや
我が子のみならず、スクールの為に気を配ってくださる保護者のみなさん、
熱心で、申し分ないアシストをしてくれる助子ちゃん、
びっくりするほど純粋でまっすぐな子供たちを見ると

「自分は、こんな素晴らしい方々に先生なんて呼んでもらっていいのか?
それほど価値のある人間か?」



考えこんじゃったりするのです。



人間性の大きさを競うつもりはぜんぜんなくて、
ああ、いい方々に恵まれて幸せだなあと、そこは単純に喜んでいるんですが

そんな皆さんの
精神的な支柱であるためには
どうふるまうべきか、
常に、悩みながら毎日を過ごしています。


「先生」の重圧に耐えかねて
いっそ「リーダー」とか「代表」って呼んで!と思ったりしたこともありましたが


むしろこの重圧のおかげで
かろうじて、私がワタシでいられるのかも
と、思い直しました。
(結局どれも似たようなもんだし)


そう。

めっちゃ悩んで、苦しむくらいで
ちょうどいいんでしょうね。

惰性と慢心で
この苦しみがなくなってしまったときは

「先生」も「リーダー」も「代表」も
ふさわしくない抜け殻になっちゃうんでしょう。
もともと、ちっちゃい人間だから。



「先生」と呼ばれることに
焦燥感を持ち続けていられる自分でいたいです。


なお


声を大にして言っておきたいのは




ワタシは


犯罪とは無縁ですっ!!

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by sakura-ballet | 2013-04-05 19:17 | 雑記 | Trackback | Comments(0)